Monday, December 31, 2007

第8回ディジタルコンテンツ学研究会のお知らせ

日時  1月12日(土)午前10時から正午まで
場所  秋葉原ダイビル6F 明治大学サテライトキャンパス
ゲスト ドミニク・チェンさん
ホスト 宮下芳明(DC系専任講師)

「情報プロクロニズムとコモンズの臨界点」

情報共有技術の浸透は、多様な情報の相互伝達を人間の認知限界を超える規模で可能にしています。現在、そこで交わされているのは完成形の情報ですが、状況は生成プロセスを含む情報の共有をも包括しようとしています。

存在と表現の境界はどこまで融合しうるのか? 人間の作為から生まれた情報に自律性は宿るのか? こうした問題を抱えながら展開しているプロジェクトを 紹介したいです。

ドミニク・チェン
1981年、東京生まれ。フランス国籍。フランス理系バカロレア取得後、カリフォルニア大学ロサンゼルス校[UCLA]Design/Media Arts学科卒業(2003.06)。東京大学大学院学際情報学府修士課程修了 (2006.03)。 NTT InterCommunication Center [ICC] 研究員(2003.11~)、国際大学GLOCOMリサーチ・アソシエート(2005.02~)を経て現在、東京大学博士課程在籍[日本学術振興会特別研究員] (2006.04~)、NPO法人 Creative Commons Japan理事 (2006.03~)。

2007年+2008年の Ars Electronica Digital Community部門 International Advisory Boardを務める(2007年度、www.dotsub.comを推薦,Award of Distinction受賞).。2007年5月NPO法人Art Initiative Tokyo(AIT)の Making Art Differentコースの集中特別講義『New Media and Digital Politics』を開催(2008年5月も講義予定)。2007年12月、東京都写真美術館にて『文学の触覚』展に舞城王太郎との新しいデジタル文学のかたちを提案する作品を出品。

2001年より《InterCommunication》《美術手帖》《ユリイカ》《10+1》《ARTiT》《Tokyo Art Beat Review》など様々な媒体で可塑性のメディア論を執筆するかたわら、ICCのオープン映像アーカイヴ「HIVE」を設計・構築し、クリエイティブ・コモンズの運動にもC−shirtプロジェクト等、前線で参加してきた。現在はアーティスト・遠藤拓己と共にdividualの構築をおこなうと同時に、情報プロクロニズムと創造性概念の再構築に関する研究に従事。

当日は併せて、参加者とのあいだで活発な質疑応答を期待したいと考えています。関連分野に関心のある方は、どなたでもぜひお気軽にご参加ください。

ダイビルは秋葉原駅電気街口前の高層ビル。すぐわかります。直接エレベーターで6階にお越し下さい。

http://www.meiji.ac.jp/akiba_sc/outline/map.html

Sunday, December 23, 2007

写真の1年目へ

12月22日(土)、中京大学アートギャラリー C・スクエアで開催された展覧会「写真0年 沖縄」−名古屋展の最終日、関連シンポジウムに参加するために名古屋に訪れた。この会場は1997年に、私が決定的な衝撃を受けた「日常 中平卓馬の現在」という展覧会のあった場所でもある。中平卓馬の写真がそれまでに見たどの写真にも似ていないことの謎と衝撃から、やがて私は2003年に「中平卓馬 原点復帰−横浜」展をキュレーションするための動機付けの一つを得たことになる。さらにはこの展覧会が、その翌年、那覇市民ギャラリーに巡回されることで、比嘉豊光さんとも出会うことになった。
 シンポジウムではキュレーションに関わる部分で那覇会場との差異についてのことが議論となり、中平卓馬の言説を引きながら、比嘉豊光さんから、私の選択した展示方法が比嘉作品をドキュメントではなくクリエーションのために使用しているという意味の認識が示された。それはそうではないのだが、そういわれると反論がとても難しい重要な指摘だった。
 名古屋在住の、あるいは関西圏や東京からも関心をもつ特に、研究者・批評家・学芸員の方々が来て下さったことがとても嬉しかった。また中平さんの盟友の一人、高梨豊さんが打ち上げにもずっと加わってくれて有り難いことでした。以下に「名古屋展」の序文または「あいさつ」を再掲しておきたいと思います。

はじめに

「写真0年 沖縄」−名古屋展は、去る10月29日から11月4日まで那覇市民ギャラリーで開催された「写真0年 沖縄」展を再構成したものです。三人の出品作家、沖縄・読谷在住の比嘉豊光、東京在住の浜昇と北島敬三は、1970年代の沖縄で出会い、2002年に那覇市民ギャラリーで行われた、沖縄と他地域の写真家による合同展「琉球烈像」への参加を通じて再会します。そのことが、今回の二つの展覧会「写真0年 沖縄」の開催につながっていきました。
先の沖縄会場では、沖縄の「過去と現在」をめぐる三人のドキュメンタリー的あるいは風景的な提示が、緩やかにかつ時おり鋭角的に連関しましたが、今回の名古屋の展覧会でもそのエッセンスが活かされています。さらに今回は、近年の展示では説明を排して圧倒的な量の写真が壁面に貼付される傾向にあった比嘉豊光の連作「島クトゥバで語る戦世」を横一列に並べて、その一枚一枚の肖像には撮影時に語られた各々の言葉を添えています。加えて新たに北島敬三の連作「PORTRAITS」を出品することにより、名古屋展全体の中で、人間を表象すること、あるいは人間の生と死を表象する写真の営みについても考察を深めたいと考えました。北島の連作「PORTRAITS」、また展示作品の一部として閲覧に供される浜昇による新刊写真集『VACANT LAND 1989』は、いずれも直接には沖縄を撮影した写真ではありませんが、そこに内包される問題意識は「写真0年 沖縄」展と深い絆で結ばれたものです。
沖縄はつねに私たちのまなざしを柔和に抱懐すると同時に、厳しく問いただします。その振幅の度合いにおいて沖縄は、比類なき写真の「磁場」でありつづけています。展覧会の準備と実施に関わった時間の中で私たちは、この沖縄という磁場をいつしか拡大しながら、「沖縄の問い」をどの地域の問いとも分割不可能なものとして認識していきました。同時に、沖縄の中の個別的・現実的な場所とそこに生きる人、そこに死んだ人が、決して一般性に解消されることのない単独の場所・人であることの意味を、他ならぬ写真を媒介に今後とも考えていきたいと願っています。

展示構成 倉石信乃

Wednesday, December 19, 2007

『美術手帖』への広告

月曜日に店頭に並んだ『美術手帖』2008年1月号は、松井冬子特集もさることながら、「表3」つまり裏表紙のそのまた裏ページに注目して下さい。来年4月に開講する私たち明治大学大学院・新専攻の広告が掲載されています。デザインは宮下芳明さんです。美術大学からも、少しでも多くの方々が私たちのコースに来て下さることを期待しています。

Wednesday, December 5, 2007

写真0年 沖縄、名古屋へ

12月3日(月)、「写真0年 沖縄」−名古屋展が、中京大学アートギャラリーC・スクエアで始まった。10/30-11/4に開催した那覇市民ギャラリーとはかなり違う構成の展覧会になった。12月2日(日)の展示作業日には行けなかったのだが、展示を担当された北島敬三さんと photographers' galleryの若き精鋭たち、笹岡啓子、王子直紀、大友真志各氏の尽力によって、必ず見応えのあるものになっているはずだ。展覧会の最終日の12月22日(土)には関連イベントが行われ、私もシンポジウムに参加する。そこで展覧会をめぐって続いた長いキャラバンはとりあえず一区切りとなる。以下はそのご案内です。

「写真0年 沖縄」−名古屋展
会場:アートギャラリー C・スクエア
〒466-8666 名古屋市昭和区八事本町101-2 TEL052-835-5669
http://zeronen.jugem.jp/

出品作家:比嘉豊光、浜昇、北島敬三
展示構成:倉石信乃

会 期:2007年12月3日(月)−12月22日(土)
休 館:日曜(但し、12月9日は開館)
開館時間:午前9時−午後5時 入場無料開場:12:30

関連イベント
開催日:2007年12月22日(土) 入場無料
1.映画上映
 上映:13:00〜
 「カメラになった男 写真家中平卓馬」(小原真史監督/2003年/
  2006年初公開/日本/91分) 
2.ビデオ上映
 上映:14:45〜
 「島クトゥバで語る戦世」(2006年/琉球弧を記録する会/60分) 
3.シンポジウム
 開演:16:00〜(終了18:00)
 パネリスト:比嘉豊光(写真家)・浜昇(写真家)・北島敬三(写真家)・
  小原真史(写真評論家・映像作家)・倉石信乃(写真評論家)
 司会:森本悟郎(C・スクエア キュレイター)

月のうさぎが海をわたる

高橋和海さんの写真集「High Tide Wane Moon」が、アメリカ・ポートランドの出版社ナツラエリ・プレスからようやく出版されました。最近、世の中には海の写真が多いのですが、高橋さんは一種の海ブーム以前からずっと、この「極端な」テーマを追っている印象があります。今回の写真集はむしろ「月」の方がテーマで、月に引っ張られて海も加わってきているみたいです。この瀟洒な本にエッセーを寄稿しました。翻訳はJohn Junkermanさんで、翻訳していただいてとても良かった。

Shino Kuraishi, "A Moon Rabbit Runs across the Sea, " in Kazuumi Takahashi, High Tide Wane Moon(Portland: Nazraeli Press, 2007)

http://www.nazraeli.com/nazraeli/frameset.html

どこかで見かけたら手にとってみてください。

Tuesday, December 4, 2007

『遊歩のグラフィスム』書評

12月2日(日)東京新聞朝刊の読書欄に、平出隆著『遊歩のグラフィスム』の書評を書きました。

http://www.tokyo-np.co.jp/book/shohyo/shohyo2007120201.html

平出さんはいまの日本で最も端正なコトバを操る詩人の一人ですが、この本は俳人・歌人の正岡子規、美術家の河原温、小説家の川崎長太郎、ドイツの文芸批評家・思想家のベンヤミンといった東西のジャンルの異なる文章や視覚的な表現を、「遊歩」していく本です。一言では要約しにくいタイプの哲学的なエッセーで、平出さん自身の来し方や日常生活も綴られていて、気軽に手に取れるけれども奥行きが深くなっています。著者が、たんなる相互交流や余興のたぐいとは異なるかたちで、文学と美術の中間領域を押し広げてみようとしているところに、たいへん共感しました。また個人的には子規について少しきちんと読んで考えたくなりました。

シンホジウム終了

12月2日(日)来年4月に開講する、明治大学大学院理工学研究科新領域創造専攻の発足記念シンポジウムが駿河台のアカデミー・ホールで行われた。当日参加してしてくださった方々には、心から御礼を申し上げます。

午前の第1部「安全学系」につづき、私が来年の授業を受け持つディジタルコンテンツ系のシンポジウムは午後の第2部から。前半は岩井俊雄さんのスペシャルトーク&ライヴが行われて、初心者にも簡単に演奏可能という、光と音のシンクロする電子楽器TENORI-ONの実演に触れることができた。TENORI-ONの開発プロセスも説明され、岩井さんらしいインタラクティヴな展示作品からの発展形として、「楽器」という形式に落とし込まれていった経緯が興味深かった。

後半のパネル討論に集った、岩井さん、初音ミクの開発担当者の佐々木渉さん、書道家の武田双雲さん、先進的でありながら明快なソフトの数々を送り出してきた平野友康さん、カリスマ的なゲーム制作者にして「元気ロケッツ」のプロデューサーの水口哲也さん、そしてコンテンツ制作の最先端を切り開きつつあるこれだけのメンバーを集めて、見事にシンポジウムを成功に導いた、第二部オーガナイザーの私たちの若き同僚、明治大学専任講師の宮下芳明さん。きわめて個性的な彼らにはみな、この時代に向けてより多くの人々にメッセージを伝えたいという強い熱意に溢れていたのだが、そうした熱意は、自らがクリエーターとして君臨するではなくて、むしろ多くの人ぴとの創造性を引き出す簡明なソフトやプラットホームを提供していくことにある。そのことが創造性という概念そのものの現在の変質、もしくは新規の成立と結びついているようだった。

とくに平野さんの発表の中に典型的に見られた、大企業の支配するコンピュータ・ソフト業界に対抗する意識の高さ、「心意気」は、いまのディジタルコンテンツを学問領域で考えていく上でも、最低綱領のようなものではないかと思ったもした。

とくに参加者の意欲の高い集まりにはつきものなのだが、クロストークに至る前に時間切れになってしまった。白熱した発言のそれぞれについて、さまざまな感想が切れ切れに浮かんできたのだが、裏方をしていた私ももっと聴きたかった。ぜひ再びそして継続的に、こうしたシンポジウムの場を作り上げられるようにしていきたいし、そうしなければならないだろう。

Thursday, November 22, 2007

三つの写真展と一つのレクチャー

先週見た三つの写真展と聴いた一つのレクチャーについて感想をまとめておきます。

11月13日(火)、大友真志さんの個展「Northern Lights - 1 母と姉」(新宿・photographers' gallery)を見る。作者の母と姉の肖像写真で、故郷の北海道で撮影している。写真でなければ探究不可能な、暗くて深い心理的な領分へ距離をつめていっている。静かで凄絶な感じを何に譬えればいいのか。

11月16日(金)、石川直樹さんの谷中・SCAI THE BATHHOUSEでの個展「POLAR」。前作「NEW DIMENSION」で印画紙を直接壁面に貼付したのとは対照的な、これまでになく洗練された展示。絵画的なフレームの中で活きようとする写真は、観者のまなざしに負荷をかけない、「透明」である点できわめて今日的であり、これもまた一つの到達地点なのだと思う。

11月17日(土)午前、明治大学秋葉原サテライトキャンパスで平倉圭さんのレクチャーを聴く。映像の同一性を保証するのが、起源を欠いた「類似」をもとにした記号の機能であること。その傾向がますます強まっている現況と、そこにしばしば見られる怪物的な逸脱の意味を、ビンラディンやサダムフセインの「肖像」の不確かさや、「マイノリティ・レポート」「インランド・エンパイア」などハリウッド映画、さらにはミュージック・クリップに見られる映像と現実の境目のない連続性から、見事に解説された。現在執筆中という、ゴダール論が待たれる。

11月17日(土)夕方、金村修さんと短いトークショーを、彼の個展会場である青山の「Void+」で行う。個展「Dante Lobster」は、めずらしくニューヨークのストリートを写した作品が展示され、いつもの日本の乱雑なそれと比べてより端正。優れたコトバの使い手でもある金村さんとの対話はこれで5回目ぐらいになる。今回はわりと話が弾んだ方かもしれない。学生の頃には強くあった、画面の中のカタチへの関心(フォーマリスティックな関心)が次第になくなっていったという金村さんの話は、同様の推移を「見る側」からたどった私にはよく判るものだ。おそらくますます「根拠」の不確かさに耐えながら、その都度判断と断言を迫られていくんだろう。それは必ずしも最悪なことじゃない、と思う。

Monday, November 12, 2007

ディジタルコンテンツ系のスタートに向けて

来年4月から、管啓次郎さん、宮下芳明さんたちと担当する、明治大学大学院理工学研究科新領域創造専攻ディジタルコンテンツ系のスタートのために、来る12月2日(日)、同専攻安全学系と一緒に記念シンポジウムを開催することになりました。私自身にとっても、現在の新しいテクノロジーが、個人の表現といかに結びついているのか、そして両者の良き結びつきとはいかなるものであるべきなのかを、改めて考えてみるいい機会にしたいと考えています。多くの方々のご来場をお待ちしています。

明治大学 大学院 理工学研究科
新領域創造専攻 発足記念シンポジウム のご案内

 明治大学理工学研究科に新たな専攻「新領域創造専攻」が誕生します。確立されている学問分野や産業分野に対して,どの領域にも属さない,しかもどの領域とも関連する,新しい,チャレンジングで横断的な領域の芽は,次の時代を築く新しい学問や産業が生まれ育ち,次の時代の主流になって行きます。

 (シンポジウム Webサイト)
 http://www.meiji.ac.jp/sst/sympo-web/index.html

 (合同リーフレット PDF形式 850KB)
 http://www.meiji.ac.jp/sst/sympo-web/1202goudou.pdf

【開催要領】
 期日 2007 年 12 月 2 日 (日)
 会場 明治大学 アカデミーホール (駿河台校舎 アカデミーコモン3階)
  http://www.meiji.ac.jp/sst/sympo-web/access.html
 
 入場無料・事前予約不要

【 第1部 安全学系 10:30- 】

■ 対談:日本の社会は十分に安全か
 向殿 政男(明治大学) × 草野 満代(フリーアナウンサー)

 私たちの生活、社会は十分に「安全」なのでしょうか? 電気製品は?食品は? エレベーターなどの設備は? 防犯の意味での安全性は? この対談では、生活者としての視点から「安全」をとらえ、何が必要なのかを考えていきます。

■ パネル討論:より安全な技術の創造にむけて

 日本社会における安全な技術は、どこまで保証されなければならないのでしょうか? 企業・行政・消費者、そして大学はどのような役割を担っていかなければならいのでしょうか? ここでは、各分野からパネリストを招き、より安全な技術の創造に向けて討論を行います。
 
 オーガナイザー:北野 大(明治大学)
  大桃 美代子(タレント)
  辰巳 菊子(消費生活アドバイザー)
  中林 美恵子(跡見学園女子大学)
  沼尻 禎二((財)家電製品協会)
  向殿 政男(明治大学)
  渡邊 宏(経済産業省)

安全学系リーフレット PDF形式 1.2MB
 http://www.meiji.ac.jp/sst/sympo-web/1202anzen.pdf


【 第2部 ディジタルコンテンツ系 14:00- 】

■ スペシャルトーク&ライブ
『メディアアーティスト岩井俊雄の到達点・21世紀の楽器 TENORI-ON』

メディアアート界の第一人者である岩井俊雄氏が、21世紀の楽器として提案する「TENORI-ON」。このスペシャルトーク&ライブでは、それまでの岩井氏の軌跡をたどり、いかにTENORI-ONに集約されたかを語ります。

■ パネル討論:ディジタルコンテンツの未来
 
 このパネル討論では、ディジタルコンテンツ業界の風雲児とよばれる方々を一同に集め、今後の未来を占います。「初音ミク」の企画を行った佐々木渉氏、大活躍の若手書道家である武田双雲氏、誰でも簡単に高品質なウェブサイトが作れるソフト「BiND for WebLiFE*」をリリースした平野友康氏、「Rez」「ルミネス」等のゲームだけでなく「元気ロケッツ」のプロデュースも行っている水口哲也氏を招きます。

 オーガナイザー:宮下 芳明(明治大学)
  岩井俊雄 (メディアアーティスト「TENORI-ON」)
  佐々木渉 (クリプトン・フューチャー・メディア「初音ミク」企画)
  武田双雲 (書道家)
  平野友康 (デジタルステージ 代表/開発プロデューサー )
  水口哲也 (「Rez」「元気ロケッツ」プロデューサー)


ディジタルコンテンツ系リーフレット PDF形式 2.7MB
 http://www.meiji.ac.jp/sst/sympo-web/1202dc.pdf

【主催】
 明治大学 大学院 理工学研究科
 http://www.meiji.ac.jp/sst/grad/
 
【お問い合わせ】
 明治大学 教務サービス部 理工学部グループ
 TEL: 044-934-7562
 mail:  sst@mics.meiji.ac.jp

Thursday, November 8, 2007

先週の沖縄

先週1週間を沖縄で過ごした。那覇市民ギャラリーで行われた「写真0年 沖縄」の展示に立ち会い、関連シンポジウムに出席するためだった。展覧会は三人の出品作家、比嘉豊光、北島敬三、浜昇が長い討議を通じて作り上げたもので、迫力に満ちていた。私は展示構成を担当したが、三人の思いの強さを損なわないことだけを考えればよかった。シンポジウムでは、演出家で展覧会のキュレーションも手がける豊島重之さんの司会により、沖縄県立美術館学芸員の翁長直樹さん、東京国立近代美術館主任研究官の鈴木勝雄さんと、「写真0年 沖縄展」、県立美術館の開館記念展「沖縄文化の軌跡1872-2007」、来年東京国立近代美術館で予定されている「沖縄」展について話した。個人的には、重い課題の残る議論の場となった。自分がライブの速度に追いつけず、こわばりのうちにあり得べき軌道をそれて、単調な形をなぞりながらわだかまっていく。そんな違和ともどかしさを感じていた。そうしたずれや遅れを解消するというのではなしに、自発的なコトバの明るさや暗さ、起伏をそのままに率直に語ることができればいいのだが、とても難しいことだ。そしてこういう試しはこれからも続くに違いない。

展覧会に併せ、沖縄と写真をめぐる多くの論考を集めた本『photographers' gallery press 別冊 写真0年 沖縄』が出来ました。私は「写真は反復する−沖縄写真1853-1945」(106-113頁)、「報道と教育−戦時下の木村伊兵衛」(157-166頁)という二つの文章を寄せています。詳しくはこちらから。ぜひ手にとってみて下さい。http://www.pg-web.net/ 

Tuesday, November 6, 2007

第7回ディジタルコンテンツ学研究会

第7回ディジタルコンテンツ研究会のお知らせ

日時 11月17日(土)午前9時30分〜11時30分
場所 秋葉原ダイビル6F 明治大学サテライトキャンパス
ゲスト 平倉圭さん(イメージ分析・知覚理論/美術作家、東京大学グローバルCOE「共生のための国際哲学教育研究センター」(UTCP)特任研究員)

平倉さんから当日のレクチャーについて、次のような刺激的なタイトルとメッセージをいただいています。

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「分身と追跡」  平倉圭

2007年9月6日、APEC開催中のシドニーで、オサマ・ビンラディン容疑者に扮したコメディアンが逮捕された。翌7日、こんどはロイター通信がビンラディン容疑者の「新作」映像を入手し、米当局はその映像を「本物」と確認した。

2人のビンラディン「たち」は、映像をめぐる現在の状況をきわめて鋭く映し出している。本発表では、「分身」と「追跡」という言葉をキーワードとして、21世紀になって現れたいくつかの映像を例にあげながら、映像メディアの現在について考えてみたい。
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平倉さんは1977年生まれ。現在の日本において美術と映画に関する最も先鋭的な研究者/批評家の一人であり、同時に美術作家としての活動でも注目されています。最近の主な著作に、「ベラスケスと顔の先触れ」 、「斬首、テーブル、反‐光学——ピカソ《アヴィニョンの娘たち》」(いずれも『美術史の7つの顔』(共著)所収、未来社、2005年)、「ゴダール、VJ」(『季刊インターコミュニケーション』、vol.62、2007年)などがあり、現在雑誌『10+1』で連載「インヴァリアンツ」が進行中です。

平倉さんのHPは以下の通りです。http://hirakurakei.com/

当日は併せて、参加者とのあいだで活発な質疑応答を期待したいと考えています。関連分野に関心のある方は、どなたでもぜひお気軽にご参加ください。

ダイビルは秋葉原駅電気街口前の高層ビル。すぐわかります。直接エレベーターで6階にお越し下さい。
http://www.meiji.ac.jp/akiba_sc/outline/map.html

開始はいつもより30分早く9時半です! よろしくお願いします。

Tuesday, October 16, 2007

写真0年 沖縄

展示構成を担当している「写真0年 沖縄」が、
10月30日(火)〜11月4日(日)、那覇市民ギャラリーで開催されます。
いよいよ近づいてきてしまいました。盛りだくさんな
イベントの詳細は下記のとおりです。

http://zeronen.jugem.jp/

出品作家の比嘉豊光、浜昇、北島敬三の各氏は、いま制作も追い込みの
真っ最中かもしれません。三人の写真家との協議を経た展示構成は、
相当面白いものになるはずです。展示作業が待ち遠しい。

同時期におもろまちに沖縄県立美術館がオープンします。
こちらも楽しみです。

Wednesday, October 3, 2007

第6回ディジタルコンテンツ研究会のお知らせ

日時 10月20日(土)午前10時から正午まで
場所 明治大学生田キャンパス中央校舎6F スタジオ教室

ゲスト 吉原悠博さん(写真家、美術家、吉原写真館6代目当主)
ホスト 管啓次郎さん(明治大学理工学部教授)

吉原さんは 1960年生まれ。東京芸術大学油絵科卒業後、ニューヨークを拠点とするアーティストたちとの交遊を深め、国際的な美術家として活躍してきました。写 真・映像によるインスタレーション作品を数多く発表し、近年、パブリックアートとしてホテル、公共施設での作品設置、アートディレクションを担当しています。

新潟県新発田市の吉原写真館の第6代目当主であり、今年、同写真館に残された写真をみごとによみがえらせた「吉原家の130年」がしずかな感動を呼びました。詳細は以下をご参照下さい。
http://www.emoninc.com/test/past/2007/spiral.html


なお当日は映像作品のプレゼンテーションという性質上、開始後の入室はご遠慮ください。

明治大学生田キャンパスは小田急線生田駅から徒歩10分。中央校舎はキャンパス中央に位置する6階建ての白い建物です。向ヶ丘遊園前駅からのタクシーご利用が便利かもしれません。数分で着きます。
駅からのアクセス http://www.meiji.ac.jp/koho/campus_guide/ikuta/access.html

それではお目にかかるのを楽しみにしています。

Sunday, September 23, 2007

石川直樹さんとの話

先週末の9月21日(金)の夜、個展開催中の写真家・石川直樹さんと、会場の銀座ニコンサロンで、「フォトセミナー」と称する公開トークを行いました。展覧会は、前にプログでも紹介した、世界の先史時代の壁画をめぐる旅の記録です。私の質問に石川さんがそれに答える形で話は進行しました。

写真を撮って現像・プリントし、写真集や展覧会を構成するという絶え間ないプロセスが、世界を理解していく上で不可欠だと石川さんは言い、カメラのない旅は考えられない、写真があって本当に良かったといま思えると言います。また、人知を超えた領域への接近を物語る、壁画という呪術的な表現に関連して、超常的なものや神秘的なものの実在を信じているかと訊くと、全く信じていないし、幽霊も見たことはない。ただ、現地の人たちにとってそういう次元がごく普通のこととしてあるということをよく理解する、という意味のことを石川さんが言っていたのがとても面白かったです。対話を通じて、石川直樹という写真家のタフで冷静な姿勢が浮かび上がりました。

展覧会に併せて、写真集『New Dimension』(赤々舎)が発売されます(個展会場で先行)。この本に、私は「ネガの手の叫びのために」というエッセイを寄稿しました。先にStudio Voiceに書いたのと同じタイトルですが、中身はかなり違ってずっと長いです。英訳をドキュメンタリー映画の監督としても有名なJohn Junkermanさんに担当していただきましたが、彼とのやりとりもこの暑い夏の貴重な記憶になりました。

展覧会は10月2日(火)まで。
写真集の情報は赤々舎のホームページから http://www.akaaka.com/

Monday, September 17, 2007

ICANOFを見よ

例えば、沖縄と八戸を遠隔の飛び地と考えるのではなく、二つの場所が「地峡」のようにあるいは「橋」のようにつながり、地続きであると想定すること。そんな「よそ」を「ここ」へとつなげる想像力をテーマにした企画展、ダンス、映画上映が一度に見られるイベントの一つに参加しに、八戸市美術館を訪れた。企画したのは八戸のICANOFという市民の自発的なアート支援グループ。ICANOF第7企画展「ISMUS=地峡」展と題されたもので、2001年から続いている。

比嘉豊光の写真「島クトゥバで語る戦世」をメインとする美術館の展示に、伊藤二子の力強い抽象絵画と、ICANOFメンバーによるさまざまな写真作品が並ぶ。先週末には比嘉のビデオ版の「島クトゥバ」に加え、高嶺剛の劇映画、仲里効と港千尋のドキュメンタリー映画も上映された。また八戸を拠点に国際的な活躍をつづけるユニークなパフォーミング・アーツのユニット「モレキュラー・シアター」のメンバーによるダンス「イスミアン・ラプソディ」の連続公演も同じ会場で行われた。

9月15日(土)、港千尋監督の映画「チェンバレンの厨子甕」の上映後、港さんと、ICANOFのキュレーターで、モレキュラー・シアターの演出家でもある豊島重之さんと私の三人によるトーク・ショーが行われた。周知のように港さんは今年のヴェネツィア・ビエンナーレ日本館のコミッショナーでもあり、ちょうどイタリアから戻ったばかり。オックスフォード大学付属ビット・リヴァース博物館に陳列されていた、明治期に来日した言語学者チェンバレン旧蔵の厨子瓶を発見するところから、この映画は始まる。厨子瓶とは沖縄で死者の骨を納める容器のこと。「死者の扱い」をめぐるこの映画は、偶然の出会いがひとりでに積み重なってできあがるドラマのようで、とてもうらやましい感じがする。映画でなくてもいいけれど、こういうものをいつか作ってみたいと思わせる。

一つの作品が生まれるためには、他のさまざまな存在に備わっている「連結手」のようなものに絶えず触れていくことで、ようやく「完成」に至る。こんどはその作品がやがて生まれくる別の作品を誘発させる動因となる。そんな「リレー」のことを考えた。

ICANOFのホームページは次の通りです。
http://www.hi-net.ne.jp/icanof/

Thursday, September 6, 2007

第5回ディジタルコンテンツ学研究会のお知らせ

以下のように第5回ディジタルコンテンツ学研究会を開催いたします。

日時 9月22日(土)午前10時から正午まで
場所 秋葉原ダイビル6F 明治大学サテライトキャンパス
ゲスト 吉見俊哉さん(社会学者、東京大学大学院情報学環長)

吉見さんは1957年生まれ。現代日本の代表的社会学者の一人であり、メディア研究、文化研究の最先端をリードしてきました。近年の著書として『カルチュラル・ターン、文化の政治学へ』(人文書院、2003年)、『メディア文化論――メディアを学ぶ人のための15話』(有斐閣、2004年)、『万博幻想――戦後政治の呪縛』(ちくま新書、2005年)、『親米と反米――戦後日本の政治的無意識』(岩波新書、2007年)などがあります。

今回は特に東大情報学環での試みについてお話しいただくとともに、われわれの「ディジタルコンテンツ学」の方向性をめぐって、参加者とのあいだで活発な質疑応答を期待したいと考えています。関連分野に関心のある方は、どなたでもぜひお気軽にご参加ください。

ダイビルは秋葉原駅電気街口前の高層ビル。迷うことはありません。もし守衛さんに訊かれたら行き先を「明治大学サテライトキャンパス」と告げて、直接エレベーターで6階にお越し下さい。
http://www.meiji.ac.jp/akiba_sc/outline/map.html

森山大道論アンソロジー

1960年代から現在に至る、写真家森山大道について書かれた代表的評論を集めた『森山大道とその時代』(青弓社編集部編)が刊行されました。

http://www.seikyusha.co.jp/books/ISBN4-7872-7232-2.html

同書の1990年代の項目に私のかつて書いた二つの批評文、
「最初で最後の街−森山大道『Daido Hysteric No.8 1997 大阪』の方へ」
「犬と人間−森山大道小論」
が再録されました。

この本には興味深い森山論が網羅されていますが、例えば初期の論考として、藤枝晃雄の「世界を等価値に見る」は、いま読んでも鋭い指摘に満ちています。

来年には東京都写真美術館で個展がある予定、それに合わせて、森山大道の写真作品をテーマにした評論を募集しています。美術館のめずらしい取り組みとしても注目されます。

http://www.syabi.com/extra/moriyama.html

Sunday, September 2, 2007

約束の船

昨日、9月1日(土)三軒茶屋のシアタートラムで、黒沢美香+木佐貫邦子ダンス公演「約束の船」を観ました。長く日本のコンテンポラリー・ダンスを牽引してきたといっていい二人の競演は、「50年に一度のデュオダンス」と題される貴重な機会でした。
しかし、実際のダンスの内容については、おそらく二人の動きを見るためのもう一つの外部の目=他者であるコリオグラファーが別にいた方が、個性の全く異なる二人のパフォーマンスがもっと鮮明に際だったような気がします。また逆にそれでは失われるものもあるでしょうから、そのあたりのことがソロやデュオのダンスの場合には特にいつも問題になるのではないかと思いました。

それでも木佐貫の均整のとれた体躯としなやかな動きの中に、生命形態的な要素を取り込む「てふてふ」のシリーズなどを80年代に観ていたことを懐かしく思いだしながら、木佐貫の健在ぶりを久々に目撃したことは嬉しいことでした。
そして何よりも、黒沢美香の自在な動き、だらだらとした一見どうでもよいような所作から日常的に誰もがしている所作まで、さらにはたがのはずれた奇怪な反復的な所作から研ぎ澄まされたいかにもプロのダンスの型までの豊かな表現の拡がりは、いつまでもずっと観ていたいものでした。
黒沢のダンスでいつも驚くべきことの一つは、アクションの何もない静止状態から、何かアクションを起動させるときの、圧倒的な「説得力」にあります。私がパフォーミング・アーツを観る際に気勢がそがれる大きな理由に、静止状態から動きが始まる「きっかけ」を、音楽、言葉、あるいは可視的であるか不可視であるかいずれにせよある種の「物語」にゆだねたりすること、または自身の心理的に説明可能な何かといった「仮構」の存在を頼りにしてしまうことが挙げられます。そこにどうしてもつまづいてしまう。しかし黒沢はいつも、そうした「仮構」の何かを使用するにせよしないにせよ、非アクションとアクションの間をほんとうに自然に行き来しながら、時間の上をサーフィンしたり(時には溺れることさえ愉しみながら)、時間そのものを自分の体のなかでコラージュしたりしてしまうのです。天才的なことだとつくづく思います。

木佐貫邦子と黒沢美香のHPは次の通りです。
http://www.kisanuki.jp/
http://www.k5.dion.ne.jp/~kurosawa/

Friday, August 10, 2007

新しい次元

最新号の『スタジオ・ボイス』9月号(特集=新写真衝動 若手写真家たちのヴィジュアルバトル)、
pp.78-79に「ネガの手の叫びのために」を寄稿しました。
写真家・石川直樹さんの最新の連作「New Dimension」について
書いたものです。

この連作は、この6年ほどの間に石川さんが、世界中を飛び回って
先史時代の壁画を撮影した記録をまとめたもので、来月中旬には、
赤々舎から同名の写真集が出版予定。そして9月19日(水)〜10月2日(火)、
銀座・ニコンサロンで展覧会が開催されます。ぜひ見て欲しいと思います。

http://www.nikon-image.com/jpn/activity/salon/exhibition/2007/09_ginza-2.htm

旧石器時代後期までは遡る、途方もないスケールのテーマですが、
壁画との遭遇のプロセス全体を丁寧に捉え、壁画の周囲の環境にもまなざしを向ける
石川さんの写真は、肩に余分な力の入ったところがなくて、逆に、想像力を強くかき立てます。

Monday, August 6, 2007

故郷・美ら・思い

音楽については軽い立場がいいと思って、あまり集中しないことにしてすませてきた。もう10年ほど前になるだろうか、通勤途中だったか帰宅途中だったかも定かでない時刻に、横浜そごう前の雑然としたイベント・スペースで、奄美の物産が少し並んで、小さなステージがあって、いまも誰か思い出せない若い女性の歌手が、島唄を唄っていた。ききながら、私は激しい衝撃を受けて立ちつくしたのだったが、先を急いでいてパフォーマンスのすべてを聴くことが出来なかった。それからことあるごとに、奄美のウタがきこえてくるたびにはきいていたのだが、CDを買うことはしなかった。音楽については軽い立場がいいと思っていたから、いたずらに受動的なのだった。

しばらく前に日本民謡フェスティバルのグランプリをとった中村瑞希の「やちゃ坊節」をテレビで見ていて、素晴らしかったので、ついにCDを買うことに決めたのが、ようやく1と月前のこと、ついでに元ちとせがメジャー・デビューする前に出した、島唄のCD「故郷・美ら・思い」を併せて、同じ奄美のレコード会社「セントラル楽器」から通販で買うことにした。

きいてみて、中村瑞希も良かったのだが、民謡歌手時代の元ちとせは凄まじかった。短い一曲の時間の中でも、何かがとりついて渦を巻き、歴史の厚みが一挙に出現するあの民謡に固有の感覚は一体なんなんだろうか。わたしはどこに連れて行かれるのだろうか。このうたうたいは、まだ10代だったのだろうか、そんなことは全然関係がない。

この夏は、元ちとせの島唄をきいただけでも、もう充分にいい夏だ。通販万歳、セントラル楽器ありがとう ! ぜんぜんビジネスライクじゃないこの会社。
http://www.simauta.net/

Thursday, July 12, 2007

追悼ジョン・シャーカウスキー

1962年から91年まで、実に30年にわたってニューヨーク近代美術館(MOMA)の写真部門のキュレーターを務めたジョン・シャーカウスキーが7月7日、マサチューセッツ州ピッツフィールドで亡くなった。81歳だった。彼は、ダイアン・アーバス、リー・フリードランダー、ゲリー・ウィノグランドを世に出した1967年の「ニュー・ドキュメンツ」展、写真家の志向性を、あえて主観性と客観性の比重によって「鏡」と「窓」に分類しながら、明快に現代写真の動向を整理した1978年の「鏡と窓」展など、写真芸術の方向を決定づけたり、現代写真を考察する上での見取り図を描くような、数々の重要な展覧会を企画した。今日のようにアジェの評価を高めたのも、彼の数ある業績の一つだった。私にとって印象深いのは、1989年に写真発明150年を記念した企画展「今日までの写真」で、直接展覧会を見ることは出来なかったが、その周到で個性的なカタログは美術館の学芸員になりたての私に、写真史的なパースペクティヴを与えてくれた。従来の写真史的な記述に比して、アノニマスなイメージと印刷媒体としての写真の重要性を強調したその書物は、学芸員がいかに通念から離れて自分を信じて展覧会に新たな知見を盛り込むかを教えてくれたし、いまでもしばしば参照している。今日、彼の推進したスナップショットや新しいドキュメンタリーのもつモダニズム的な価値は実際危機に瀕しているし、彼自身の美学にも疑念が呈されている。だが、シャーカウスキーの文章じたいの魅力は、私(たち)を含めた異議申し立てを試みる側の文章を逆に問いただしてくるものだ。晩年は、写真家としての活動がよく伝えられたものだった。『ニューヨーク・タイムス』が長い追悼記事を掲げている。
http://www.nytimes.com/2007/07/09/arts/09szarkowski.html

Monday, July 9, 2007

第4回ディジタルコンテンツ学研究会のお知らせ

第4回 ディジタルコンテンツ学研究会を、以下のように開催いたします。

日時 7月21日(土)午前10時から正午まで
場所 明治大学秋葉原サテライトキャンパス
講師 石川直樹さん(冒険家・写真家)

石川さんは1977年生まれ。現代日本の最先端の冒険家であり写真家です。2000年の北極点から南極点への人力踏破につづき、2001年には七大陸最高峰登頂を達成(当時、最年少)。一方で太平洋の伝統的航海術を学び、熱気球による太平洋横断に挑むなど、まちがいなく誰よりも広い視点から、この地球という星とヒトの居住パターンを見つめている視線の持ち主です。

この間、みずからの体験をインターネットを通じて、場合によってはリアルタイムで積極的に分ち合うという、旧来の冒険家とは完全に一線を画したスタイルを確立してきました。

今回の研究会では、最近の活動について自由にお話しいただきますが、新しいディジタル・テクノロジーと環境、そして旅、またご自身にとっての<写真>の意味などについても、人を不意打ちする斬新な視点からの発言がうかがえるものと思います。

石川さんのお仕事の詳細については、以下の公式ホームページをごらんください。

http://www.straightree.com/

ぜひお誘い合わせの上、ご参加いただけることを、切望しております。
【 入場無料、予約Tel:03-5209-7848 (30名までとさせていただきます) 】

なお、秋葉原サテライトキャンパスは秋葉原駅(電気街口)前のダイビル6階です。

Wednesday, July 4, 2007

予型と反復

雑誌『未来』7月号pp.30-40に、

「予型と反復 《書評》中平卓馬『見続ける涯に火が・・・」

と題した文章を書きました。
2003年に横浜美術館の学芸員として、私が個展を企画した、
写真家・中平卓馬さんの評論集についての書評です。機会があれば、ご一読下さい。

この中平卓馬の評論集はこれから写真について、あるいは現代社会のなかで
映像の果たす役割について、考える際の必読書に数えられていくことでしょう。
時系列に編集されていますが、どこから読んでもいい本かもしれません。
http://www.osiris.co.jp/index2.html

日の重さ

7月3日(火)明治大学生田校舎メディア・ホールで、トヨダヒトシさんのスライド上映会が行われた。

ニューヨークでの日々の暮らしが、少ない字幕とともに写し出されるトヨダ作品「ゾウノシッポ」三部作は、
とてもエモーショナルだった。
私たちが通りすぎてしまい見落としてしまう、あえかな日常の細部を、
たちどまってあらためてすくい上げて形にしていくと、あのように、
余りにも感情にあふれた映像が積み重なっていくのか。あるいは写真というものが、
もともと人間の感情を受け止める容器として出来ているのか。
明滅が繰り返される日常の断片の映像、それはとても「重い」ものだった。

上映後、トヨダさんは自作について率直に話してくれた。
・(スライド上映という)「立ち止まれなさ」が大切。
・撮れなかったこと、写っていないことも、撮った写真と同じくらい大事。
・イメージが現れている時よりも消えていく時のことを見てほしい。
・写真の「嘘つきやすさ」に気づいてしばらく写真を止めた。
・日常の中で、ふと気づくと周りが変化している、周囲が「旅をしている」のだ。

トヨダさんはこの夏、各地でスライドショーを開催する。
もう一度見てみたいと思った。

7月13日(金)+14日(土) タカイシイ・ギャラリー
8月17日(金) 旧宮本小学校校庭
8月20日(月) 東京都現代美術館
8月31日(金)〜9月2日(日) photographers' gallery
詳しくはwww.takaishiigallery.com/news/

Wednesday, June 27, 2007

トヨダヒトシ スライド写真上映会

ニューヨーク在住の写真家、トヨダヒトシさんのスライド写真上映会を
下記の日程で開催します。とてもめずらしい機会ですので、ぜひご参加下さい。

7月3日(火)10時30分〜12時
明治大学生田キャンパス中央校舎6階メディアホールにて

明治大学理工学部の私が受け持つゼミの総合文化ゼミナール「写真集をつくる」
の時間を利用した特別講義ですが、どなたでもご参加いただけます。
ただ、スライド上映会という性質上、時間厳守でお願いいたします。途中入場はできません。

生田キャンパスは小田急線生田駅下車徒歩10分。あるいは向ケ丘遊園前駅下車タクシーで10分。

写真を発表する形式として、トヨダさんはスライド写真の投影(プロジェクション)に限っています。
印画紙を額に入れた展示形式や、写真集のような書籍のかたちとは違った、光の点滅によってつかのま浮かび上がっては消えてゆく
スライド写真の「時間」もまた、写真を見るもう一つのユニークな機会となることでしょう。

Monday, June 25, 2007

今年の慰霊の日に

6月23日(土)は慰霊の日。1945年、沖縄戦の終結したこの日に、沖縄在住の写真家・比嘉豊光さんの写真展「わったー 島クトゥバで語る戦世」を記念する対談に参加するため、沖縄・宜野湾にある佐喜真美術館を訪れた。私たちは、「写真にとって沖縄とは何か」という、余りにも巨大なテーマで話すことになった。冒頭で私は少し時間をもらって、1853-54年、ペリー提督率いるアメリカ艦隊に随行した写真家や素描家の記録したイメージをたどりながら、そこに認められるエキゾティシズムのまなざしと、1930-40年代の日本人写真家の来沖時における同質のイメージを比較・検討した。
対談の相手は、11月にできる沖縄県立美術館の学芸員翁長直樹さん。司会を写真家の北島敬三さんが担当。翁長さんは、私が横浜美術館の学芸員をしていたときに企画した「中平卓馬展」の沖縄巡回展を実現してくれた人で、沖縄の近現代美術史・写真史の第一人者だ。翁長さんは戦後に始まる沖縄人写真家の仕事を、わかりやすく解説してくれた。
第二部のセッションのテーマは「沖縄にとって写真とは何か」。パネルには写真家・批評家の仲里効さんの司会で、東京外国語大学の西谷修さん、沖縄大学の屋嘉比収さん、そして主役である比嘉豊光さんが登場。主に比嘉さんによる展示作品、つまり沖縄戦を「島クトゥバ」つまりウチナーグチ(沖縄のことば)で証言するおじいさんおばあさんたちのポートレートの意義について、議論が展開した。屋嘉比さんが、沖縄戦の写真のこれまでほとんどすべてが米軍側から提出される記録写真・映像であったことに触れ、「これは(沖縄からの)沖縄戦の写真である」と明確に定義されたのが心に残った。
このイヴェントはこれだけに終わらない。10月30日-11月4日には、那覇市民ギャラリーで、比嘉さんと、北島敬三さん・浜昇さんという東京在住の2人を加えた3人の写真家による、「写真0年沖縄」展が開催される。「写真0年沖縄」展は沖縄県立美術館の関連イヴェントとしても企画され、私は展示構成で参加する予定。詳しくは下記のホームページをご覧下さい。

http://zeronen.jugem.jp/

沖縄でモノを考えること、あるいはすでに沖縄に想いをめぐらせることは、日頃の私たちの暮らしている場所を相対化する得難い機会を提供してくれる。しかしそれをコトバにしていくことは余りに難しい。しかしアクチュアルな実践にかかわりながら、考えたり逡巡したりする時間が、私にとってはとても貴重なものになっている。

Monday, June 18, 2007

反編集的フィルム

6月17日(日)、「水の映画」上映会が横浜美術館で開催された。その最終プログラムは、詩人・吉増剛造の映画作品。スクリーンに投影される「水」にちなんだ自身の制作した映像を見ながら、舞台上に座った吉増剛造本人が、当の映画の中の自分のセリフを時として批判し、あるいは映画の音声をかき乱す音楽を流す。この際どい同時進行の、破壊的なパフォーマンスは、一種の映画批判、上演批判の試みとも受け取ることができる。

吉増の映画はすべての作業を一人で行う。また時間の経過に対して、不可逆的であること、つまり編集をほとんどしない「一発撮り」である点も、特筆すべきことかもしれない。あるいはそれは時間の経過とともにひとりでに編集されていって、撮影とともに完成する「自己編集的映画」、オートポイエーシスとしての映画というものか。

上映後、吉増さんと40分ほどの公開トークに参加しました。事前に言うべきことを少し用意していきましたが、あまり役立ちませんでした。ライヴの自発性によって、複製の反復的なあり方を攪乱し問いただすことが、「映画」の上映の意義の一つと考えるのが詩人の仕事であるならば、固定的な理屈はあまり役に立たないことでした。

Friday, June 15, 2007

第3回ディジタルコンテンツ学研究会のお知らせ

第3回ディジタルコンテンツ学研究会を開催いたしますので、ぜひご参加ください。

この研究会は、来年4月に予定されている、
明治大学大学院理工学研究科ディジタルコンテンツ系の
開設にあたり、「ディジタルコンテンツ学」をめぐる問題を多方面から考えるため、
担当教員である宮下芳明さん(ディジタルコンテンツ学)、
管啓次郎さん(文化詩学・批評理論)と、倉石が月例で主催しているものです。

ゲスト 徳井直生さん(国際メディア研究財団研究員)
日時 6月30日(土)午前10時から正午まで
場所 秋葉原ダイビル6F 明治大学サテライトキャンパス
http://www.meiji.ac.jp/akiba_sc/outline/map.html

徳井さんのプロフィール:
1976 年、石川県生まれ。2004年に「生成的ヒューマン=コンピュータインタラクションに関する研究」で東京大学工学系研究科で博士号を取得。対話型音楽システム 「Sonasphere 」を開発し、DJとしてもパフォーマンスや作品を発表。

2004-2005年にかけてはSonyコンピュータサイエンス研究所パリ客員研究員として、ネットワークを用いた音楽システムの研究開発を行なう。パリ国際大学都市レジデントアーティストを経て、現在は国際メディア研究財団研究員、および東京藝術大学/東京工芸大学/長岡造形大学非常勤講師をつとめておられます。

異言語間の偶然的音声連鎖で世界を探索するシステムPhonethica、および"An Artifact formerly known as Music"なる新しい音楽の享受システムを開発中。

第1回の赤間啓之さん、第2回の前田圭蔵さんにつづき、今回もまたきわめて刺激的なお話をうかがうことができると思います。

ダイビルは秋葉原駅電気街口前の高層ビル。迷うことはありません。
もし守衛さんに訊かれたら行き先を「明治大学サテライトキャンパス」と告げて、直接エレベーターで6階までお越し下さい。

Wednesday, June 13, 2007

とんぼは旅の道連れ

きょうは朝から新幹線に乗って名古屋まで行き、中京大学Cスクエアで開催中の尾仲浩二さんの個展「Dragonfly」を見ました。エプソンの「コットン」というインクジェット・プリント用の印画紙は、版画のようなテクスチャーをもっています。そんな質感まで含めて現代の「名所絵」を作ること、しかもぜんぜん名所じゃないところに。それは見事なものでした。

この尾仲さんの個展については、事前にイメージを見せてもらい、展覧会パンフレットにエッセイを書きました。展覧会情報と併せて下記をご覧下さい。

http://www.chukyo-u.ac.jp/c-square/2007/79/kaisetu.html

いつか尾仲浩二による「日本百景」とか、そんな決定版も見てみたい。

Sunday, June 10, 2007

子供時代=古代

共同通信社から依頼で、今橋映子さんの著書『ブラッサイ パリの越境者』の書評を書きました。
ゴールデンウィークの前後に、秋田魁新聞、静岡新聞、京都新聞、神戸新聞など10紙に掲載された模様。けさ掲載紙が届き、やっといつどこに載ったか判った次第です。載ってて良かった。
この本でとくに共感したのは、ブラッサイの写した「落書き」写真を重視しているところ。無名の通過者がストリートのかべに書いたり刻みつけたりした落書き、中でも低い位置に子供がつけた落書きをブラッサイは、「子供時代という<古代>」の洞窟壁画になぞらえています。現代の都市空間の「傷口」から古代を幻視すること。想像力の入口は至るところにあるはずだけど、なかなか気づきにくい。
ブラッサイの写真は、都市に途方もない時間の積層を見出すことがいまよりも可能だった、幸福な時代の産物だったのかもしれません。

Saturday, June 9, 2007

吉増剛造の水の映画、特集上映

6月は3週連続で、土日に公開トークをする月になってしまった。
話は得意じゃないけど、これも成り行きだから成り行きだと思えば多少は楽になる。

私の最も尊敬する詩人で、恩師でもある吉増剛造さんは、近年短編映画を撮影されている。
その多くは「水」をテーマにしていて、ちょっと衝撃的なほどにシンプルで
さりげなく、どれも素敵だ。一緒に隣で詩人と歩いているみたいな感じ。
吉増さんの詩の複雑な素晴らしさとは、また違う魅力がある。
ぜひ見てほしいものです。

私がこの3月まで勤めていた横浜美術館でいま開催中の展覧会、「水の情景」展の
関連事業の一環として、6月16日(土)・17日(日)の二日間、「水の映画会」が行われる。
17日(日)の午後4時から、最後のプログラムに吉増さんご本人も登場、
上映後のミニ・トークのホスト役を私が務めます。

横浜美術館のホームページに、もうすぐ詳しいプログラムが載る予定なので、
ぜひご確認下さい。

http://www.yaf.or.jp/yma/

担当学芸員の松永真太郎さんに確認したところ、今日中に載せるとのことです。

New Waves

ホンマタカシさんの写真展が東京・渋谷のパルコPart1、ロゴス・ギャラリーで始まった。
タイトルにある写真集を記念してのこと。明日6月10日(日)2時から、ホンマさん、写真家の長島有里枝さんと一緒に、
私も参加するトーク・ショーが展覧会場で行われる。

www.parco-art.com/web/logos/

波の写真はいま、多くの写真家が手がけている。ホンマタカシのそれは、あれらとどう違うのか。そのあたりをどう話そうかと思案している。