12月22日(土)、中京大学アートギャラリー C・スクエアで開催された展覧会「写真0年 沖縄」−名古屋展の最終日、関連シンポジウムに参加するために名古屋に訪れた。この会場は1997年に、私が決定的な衝撃を受けた「日常 中平卓馬の現在」という展覧会のあった場所でもある。中平卓馬の写真がそれまでに見たどの写真にも似ていないことの謎と衝撃から、やがて私は2003年に「中平卓馬 原点復帰−横浜」展をキュレーションするための動機付けの一つを得たことになる。さらにはこの展覧会が、その翌年、那覇市民ギャラリーに巡回されることで、比嘉豊光さんとも出会うことになった。
シンポジウムではキュレーションに関わる部分で那覇会場との差異についてのことが議論となり、中平卓馬の言説を引きながら、比嘉豊光さんから、私の選択した展示方法が比嘉作品をドキュメントではなくクリエーションのために使用しているという意味の認識が示された。それはそうではないのだが、そういわれると反論がとても難しい重要な指摘だった。
名古屋在住の、あるいは関西圏や東京からも関心をもつ特に、研究者・批評家・学芸員の方々が来て下さったことがとても嬉しかった。また中平さんの盟友の一人、高梨豊さんが打ち上げにもずっと加わってくれて有り難いことでした。以下に「名古屋展」の序文または「あいさつ」を再掲しておきたいと思います。
はじめに
「写真0年 沖縄」−名古屋展は、去る10月29日から11月4日まで那覇市民ギャラリーで開催された「写真0年 沖縄」展を再構成したものです。三人の出品作家、沖縄・読谷在住の比嘉豊光、東京在住の浜昇と北島敬三は、1970年代の沖縄で出会い、2002年に那覇市民ギャラリーで行われた、沖縄と他地域の写真家による合同展「琉球烈像」への参加を通じて再会します。そのことが、今回の二つの展覧会「写真0年 沖縄」の開催につながっていきました。
先の沖縄会場では、沖縄の「過去と現在」をめぐる三人のドキュメンタリー的あるいは風景的な提示が、緩やかにかつ時おり鋭角的に連関しましたが、今回の名古屋の展覧会でもそのエッセンスが活かされています。さらに今回は、近年の展示では説明を排して圧倒的な量の写真が壁面に貼付される傾向にあった比嘉豊光の連作「島クトゥバで語る戦世」を横一列に並べて、その一枚一枚の肖像には撮影時に語られた各々の言葉を添えています。加えて新たに北島敬三の連作「PORTRAITS」を出品することにより、名古屋展全体の中で、人間を表象すること、あるいは人間の生と死を表象する写真の営みについても考察を深めたいと考えました。北島の連作「PORTRAITS」、また展示作品の一部として閲覧に供される浜昇による新刊写真集『VACANT LAND 1989』は、いずれも直接には沖縄を撮影した写真ではありませんが、そこに内包される問題意識は「写真0年 沖縄」展と深い絆で結ばれたものです。
沖縄はつねに私たちのまなざしを柔和に抱懐すると同時に、厳しく問いただします。その振幅の度合いにおいて沖縄は、比類なき写真の「磁場」でありつづけています。展覧会の準備と実施に関わった時間の中で私たちは、この沖縄という磁場をいつしか拡大しながら、「沖縄の問い」をどの地域の問いとも分割不可能なものとして認識していきました。同時に、沖縄の中の個別的・現実的な場所とそこに生きる人、そこに死んだ人が、決して一般性に解消されることのない単独の場所・人であることの意味を、他ならぬ写真を媒介に今後とも考えていきたいと願っています。
展示構成 倉石信乃