昨日、9月1日(土)三軒茶屋のシアタートラムで、黒沢美香+木佐貫邦子ダンス公演「約束の船」を観ました。長く日本のコンテンポラリー・ダンスを牽引してきたといっていい二人の競演は、「50年に一度のデュオダンス」と題される貴重な機会でした。
しかし、実際のダンスの内容については、おそらく二人の動きを見るためのもう一つの外部の目=他者であるコリオグラファーが別にいた方が、個性の全く異なる二人のパフォーマンスがもっと鮮明に際だったような気がします。また逆にそれでは失われるものもあるでしょうから、そのあたりのことがソロやデュオのダンスの場合には特にいつも問題になるのではないかと思いました。
それでも木佐貫の均整のとれた体躯としなやかな動きの中に、生命形態的な要素を取り込む「てふてふ」のシリーズなどを80年代に観ていたことを懐かしく思いだしながら、木佐貫の健在ぶりを久々に目撃したことは嬉しいことでした。
そして何よりも、黒沢美香の自在な動き、だらだらとした一見どうでもよいような所作から日常的に誰もがしている所作まで、さらにはたがのはずれた奇怪な反復的な所作から研ぎ澄まされたいかにもプロのダンスの型までの豊かな表現の拡がりは、いつまでもずっと観ていたいものでした。
黒沢のダンスでいつも驚くべきことの一つは、アクションの何もない静止状態から、何かアクションを起動させるときの、圧倒的な「説得力」にあります。私がパフォーミング・アーツを観る際に気勢がそがれる大きな理由に、静止状態から動きが始まる「きっかけ」を、音楽、言葉、あるいは可視的であるか不可視であるかいずれにせよある種の「物語」にゆだねたりすること、または自身の心理的に説明可能な何かといった「仮構」の存在を頼りにしてしまうことが挙げられます。そこにどうしてもつまづいてしまう。しかし黒沢はいつも、そうした「仮構」の何かを使用するにせよしないにせよ、非アクションとアクションの間をほんとうに自然に行き来しながら、時間の上をサーフィンしたり(時には溺れることさえ愉しみながら)、時間そのものを自分の体のなかでコラージュしたりしてしまうのです。天才的なことだとつくづく思います。
木佐貫邦子と黒沢美香のHPは次の通りです。
http://www.kisanuki.jp/
http://www.k5.dion.ne.jp/~kurosawa/