Thursday, November 22, 2007

三つの写真展と一つのレクチャー

先週見た三つの写真展と聴いた一つのレクチャーについて感想をまとめておきます。

11月13日(火)、大友真志さんの個展「Northern Lights - 1 母と姉」(新宿・photographers' gallery)を見る。作者の母と姉の肖像写真で、故郷の北海道で撮影している。写真でなければ探究不可能な、暗くて深い心理的な領分へ距離をつめていっている。静かで凄絶な感じを何に譬えればいいのか。

11月16日(金)、石川直樹さんの谷中・SCAI THE BATHHOUSEでの個展「POLAR」。前作「NEW DIMENSION」で印画紙を直接壁面に貼付したのとは対照的な、これまでになく洗練された展示。絵画的なフレームの中で活きようとする写真は、観者のまなざしに負荷をかけない、「透明」である点できわめて今日的であり、これもまた一つの到達地点なのだと思う。

11月17日(土)午前、明治大学秋葉原サテライトキャンパスで平倉圭さんのレクチャーを聴く。映像の同一性を保証するのが、起源を欠いた「類似」をもとにした記号の機能であること。その傾向がますます強まっている現況と、そこにしばしば見られる怪物的な逸脱の意味を、ビンラディンやサダムフセインの「肖像」の不確かさや、「マイノリティ・レポート」「インランド・エンパイア」などハリウッド映画、さらにはミュージック・クリップに見られる映像と現実の境目のない連続性から、見事に解説された。現在執筆中という、ゴダール論が待たれる。

11月17日(土)夕方、金村修さんと短いトークショーを、彼の個展会場である青山の「Void+」で行う。個展「Dante Lobster」は、めずらしくニューヨークのストリートを写した作品が展示され、いつもの日本の乱雑なそれと比べてより端正。優れたコトバの使い手でもある金村さんとの対話はこれで5回目ぐらいになる。今回はわりと話が弾んだ方かもしれない。学生の頃には強くあった、画面の中のカタチへの関心(フォーマリスティックな関心)が次第になくなっていったという金村さんの話は、同様の推移を「見る側」からたどった私にはよく判るものだ。おそらくますます「根拠」の不確かさに耐えながら、その都度判断と断言を迫られていくんだろう。それは必ずしも最悪なことじゃない、と思う。