Monday, June 18, 2007

反編集的フィルム

6月17日(日)、「水の映画」上映会が横浜美術館で開催された。その最終プログラムは、詩人・吉増剛造の映画作品。スクリーンに投影される「水」にちなんだ自身の制作した映像を見ながら、舞台上に座った吉増剛造本人が、当の映画の中の自分のセリフを時として批判し、あるいは映画の音声をかき乱す音楽を流す。この際どい同時進行の、破壊的なパフォーマンスは、一種の映画批判、上演批判の試みとも受け取ることができる。

吉増の映画はすべての作業を一人で行う。また時間の経過に対して、不可逆的であること、つまり編集をほとんどしない「一発撮り」である点も、特筆すべきことかもしれない。あるいはそれは時間の経過とともにひとりでに編集されていって、撮影とともに完成する「自己編集的映画」、オートポイエーシスとしての映画というものか。

上映後、吉増さんと40分ほどの公開トークに参加しました。事前に言うべきことを少し用意していきましたが、あまり役立ちませんでした。ライヴの自発性によって、複製の反復的なあり方を攪乱し問いただすことが、「映画」の上映の意義の一つと考えるのが詩人の仕事であるならば、固定的な理屈はあまり役に立たないことでした。