Tuesday, May 27, 2008

辺見庸によるマリオ・ジャコメリ

しばらく前に東京都写真美術館で見たマリオ・ジャコメリの写真は気にかかっていたのだが、それが親密な質をもっていると同時にとてつもなく遠い気もしていた。中世ヨーロッパのイコンに感じるのと同質の「遠近」に圧されて、語る言葉を見出すのが難しい。日曜日、辺見庸がジャコメリを現在の課題を交えて見事に語っているのを偶然見た。NHK教育テレビ・新日曜美術館でのことで、日曜夜9時のテレビではありえない過激な内容だった。そこではジャコメリの写真との比較においてテレビ自体が否定される。明るく可視化される技術と論理が否定される。司会者は全く登場せず、辺見の語りとジャコメリの写真だけが互いに屹立・交替して展開していく内容は、穏健な趣味に奉仕するこの番組の中では異例だ。小説家や詩人がこぞって写真について語った30-40年前に比して、「文芸批評としての写真論」が退潮したいまははたして、写真の表現にとって良きコトバの時代と言えるのか。自戒を込めてそう思った。