Thursday, May 29, 2025

鈴木幹雄『命の記憶—沖縄愛楽園1975』

以下の写真集に寄稿しました。

「はじまりの場所」、鈴木幹雄『命の記憶—沖縄愛楽園1975』赤々舎、2025年5月、208-212頁。【英訳:"Places of Departure," Mikio Suzuki, Remembering Lives Lived Wholeheartedly—Okinawa Airakuen 1975(Kyoto: Akaaka Art Publishing, 2025), 228-232. 】

展覧会が沖縄愛楽園のほか、京都で開催中。東京でも近日開催されます。

https://www.piratsuka.com/detail/821640

Monday, May 26, 2025

ARICA新作公演「檜垣女」

 

ARICAの新作公演が今週末5月31日(土)から始まります。ぜひ足をお運び下さい。

詳しくは以下をご覧下さい。

https://www.aricatheatercompany.com/works/486/

Wednesday, May 21, 2025

対談 鷹野隆大さんと

 


今週末、5月24日(土)15:00〜16:30、東京都写真美術館で「鷹野隆大 カスババ—この日常を生きのびるために」展の関連事業で、鷹野さんと対談を行います。当日は展示作品を1点選び、それについて新たに書いたテクストを読み上げる予定です。さらにそれをイメージへと再度差し戻し、再展開させる企てもあるようです。詳しくは以下から。

https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-4826.html









Thursday, April 10, 2025

『孤島論』刊行のお知らせ

 

この度『孤島論』をインスクリプトより刊行することになりました。4月22日(火)には書店に並び、インターネットでも購入可能となるとのこと。ぜひお手にとっていただければ幸いです。

https://inscript.co.jp/b1/900997-94-3

単著としては3冊目の論集で、主に論じているのは写真についてですが、文学作品や地誌についての記述も多いものになりました。本書は写真家との対話や実際に同道した旅の経験に支えられています。旅に秀でた写真家たちには全く及びもつきませんが、旅が一つの技術であれば、それをその都度学んでいった軌跡の記録なのかもしれません。もっとも、旅と定住は必ずしも対立するものではないでしょうから、たとえその場を一歩たりとも動けない時にも、他なる場所から物事を考えることができればと思います。


Friday, March 28, 2025

『全身詩人、吉増剛造』出版記念トーク&パフォーマンス

 昨年3月8日に美学校で行われた、『全身詩人、吉増剛造』(林浩平著)出版記念トーク&パフォーマンス第一部が、YouTubeチャンネル「吉増剛造 gozo's DOMUS」にアップされました。

https://www.youtube.com/watch?v=cun8lZRfU7w


Thursday, January 30, 2025

三田文學 特集 吉増剛造


『三田文学』最新号の「特集 吉増剛造」に、以下の文章を寄稿しました。

「擬態と受容」、『三田文學』2025年冬季号、第104巻第160号、2025年2月、124-126頁。

Wednesday, January 22, 2025

怒りを、未来に向けての私を問う激しさを

 ひとつのフレームが、シャッターに置かれた指のわずかな動きが、一瞬の時―世界を凝視し固定(凝結)する、そしてそこに、ゆるぎない世界を、完璧な世界を出現させる。しかし世界はゆるぎないものなのか、それほどに整ったものなのか、心はゆるぎないものなのか、確信に満ちたものなのか、いやそうではない。世界は安定などせず、いくつもの対立さえする層をもった複合的な、相反する価値と判断の結合を含んだやわらかな不定の存在なのだ、そして心もまた、あまりに曖昧なとりとめのないものではないか。あるいは展覧会の後半は、その甘美な写真の魅力の虜となることへの拒否という思いがあったのではないだろうか。世界の、複合的な構造には複合的な視線(視点)を、組み合わせていく。いくつもの異なった断片(イマージュ)を寄せ集め重ねていく、いくつもの異なった手法と技術を重ねていく、写真の配列を変え、ことばやスクラッチといった異物を加え、時間を混乱させ、放り出す。この展覧の後半の作品たちは、あまりに前半と趣を異にしている。そして、現在という時点での重要度は、あきらかに後半の作品群にあるだろう。

 ……すでに、過去ではなく問題は現在であり、これからの明日の時間なのである。ひとつの視点から世界を統合的に語りうるものとして、ロマンチックにさえ語りうるというところから、いくつもの視点の間でさまようこと、多次元的な時間の導入、統合されていく時間と空間、重ね合わされ、対立を作り出され、隠され、そして傷つけられ、消えるにまかされていく映像たち、みることにおいて、観賞という受動的な立場は奪われ、観客はそこ(イマージュ)に溺れることを拒否されていく。込められるメッセージは、ふたたび攻撃的なものとなり、世界の不条理に向けての絶え間ざる抗議、怒りを、未来に向けての私を問う激しさを蘇らせてくる。ふたたび、みたび、私を問うことがはじまり、過去が美しさに彩られていくことへの怒りと悲しみが、そこには溢れている。

谷口雅「ロバート・フランク――ムーヴィング・アウト」展評・抄、1995年

Sunday, January 19, 2025

ヴァナキュラーとオリジナリティ

 


2月5日(水)18:00〜20:00、恵比寿の日仏会館で行われる恵比寿映像祭シンポジウム「ヴァナキュラーとオリジナリティ」に橋本一径さん(早稲田大学)、川出良枝さん(東京大学)、田坂博子さん(東京都写真美術館)と参加します。

https://www.fmfj.or.jp/events/20250205.html