Monday, September 17, 2018

ロスコ・チャペルの絵画

沖縄県立芸術大学の集中講義 (9/14-16) で言及した、「ロスコ・チャペル」の絵画についてのエッセーを、参考までに以下に掲示します。

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経験の確率−ロスコ・チャペル・ペインティングを見る
倉石信乃

 特定の絵画について語ることは多くの場合、記憶に基づいている。これから書こうとするのは、何の変哲もないが避けがたいこの条件に向けてということになる。ここでは、ロスコ・チャペル・ペインティングという無宗教の教会祭壇画を取り上げ、絵画とそれを見る経験の場がいささか特殊である場合を考えてみたい。その作品は通常のタブローのように可動的ではなく、持ち運びのできない巡礼型の鑑賞形式を備えている。それはサイト・スペシフィックであるために、作品の内容と経験の形式がより不可分となる。ロスコ・チャペル・ペインティングは、絵画「を」見ることの自明性を捨てて、絵画「において」見ることそれ自体が剥き出しになる局面にわたしたちを連れ出していく。結論を急いて言えば、そのとき絵画は、絵画そのものの誘引力によってわたしたちを引き留めながら同時に、もはや絵画でなくともよいような何かに著しく接近する。
 この場合、わたしの思考を支えるのはしかし、視覚的経験の曖昧さであり、消えかかっている記憶である。それは支えにはなりにくい支え、折れやすい杖に過ぎない。しかしそうした曖昧さや頼りなさこそが、汲みつくしえぬ「見ること」の拡がりと深まりへの「つなぎ手」ではないのか。試しに、なるべく図版の助けに拠らず、朧気な記憶の中のロスコ・チャペル・ペインティングについて語りたいと思う。複製に記憶の中の実物を代理させようとするときに生ずる、ひずみやずれやその他諸々の変質・変形という、一般的な様態にことさら警戒的でありたいわけではない。そうした「差異」は今日ではすでに「制作/享受」の不可避の条件だからだが、マーク・ロスコのそれのような微妙な色面の絵画を複製図版で見る際には、やはり実物と複製のあいだに幾重にも理解のための「変換」作業、あるいは「翻訳」の手続きが必要になってくる。その手続きは夢解釈や精神分析にも接近する。その絵画の色彩を例えば「黒に近い紫」とわたしは書こうとする。だが、「黒」「近い」「紫」それぞれの名辞のもつ、途方もないグラデーションと揺らぎは、そもそも確定的な記述にはおよそ遠く離れたあやふやさ・不正確さを呼び寄せる。
 再び「黒に近い紫」とわたしは書こうとする。確かにこの連作の祭壇画には、青に近い紫と、より赤に近い紫のそれとがある。いずれにせよ色彩を名ざす時におびき寄せる記述の不正確さは、参照している複数の複製図版の色彩がそれぞれ異なってしまうことの、「技術」に由来する収拾のつかなさと呼応している。かくして、色の名前が本性を言い当てるよりもむしろ、理解を促す便宜的・功利主義的なものに過ぎないことを、ロスコの絵画は図らずも教えている。しかしだからといって、当の便宜性や功利性をいたずらに指弾していては、絵画についての議論の根底は覆される。ロスコの絵画は絵画記述におけるこうした自明性の裏側を明かすところまでわたしたちを導くが、とりわけそのことが顕著になるのが、例えばロスコ・チャペル・ペインティングだと思う。
 わたしはヒューストンのロスコ・チャペル・ペインティングをこれまで三度見る経験をした。最初の出会いは1999年の初めことだった。美術館に勤めていたわたしは、企画展「ジョセフ・コーネル/マルセル・デュシャン:共鳴」に貸し出した館の所蔵品を引き取る任務で、ヒューストンのメニル・コレクションを訪れた。ロスコのコンセプトを元にフィリップ・ジョンソンが当初の設計をし、ハワード・バーンストーンとユージン・オーブリーが引き継いで完成させた八角形のプランをもつ小さな教会「ロスコ・チャペル」は、メニル・コレクションに隣接する施設だが、このときはあいにく閉鎖中だった。しかしメニル・コレクションの修復室で偶然の通りすがりに、修復作業中のロスコ・チャペル・ペインティングを数点目撃することになった。「黒に近い紫」の画面が窮屈そうに斜めに立て掛けられていたはずだ。静寂や沈黙や瞑想といった定型的な措辞を呼び寄せるマーク・ロスコの代表作との出会いの場としては、あまりにも散文的であり、似つかわしくなかったかもしれない。
 修復中の絵画というのは奇妙なものだ。それは作品として不完全であるため、その状態で「見る」ことは、十全に絵画を鑑賞したことにならないと判断されるだろう。しかしそれでもなお、作品としての同一性は揺るぎなく保証されていて、来たるべき修復の終了後には、作品として再び自立する、あるいは再稼働する。わたしがメニル・コレクションの修復室で見かけた「もの」は、「時間的に」作品の「手前」にある何ものかであった。したがって、わたしはロスコ・チャペル・ペインティングを構成するメンバーを見かけたが、ロスコ・チャペル・ペインティングそのものを見たわけではなかった。わたしは不完全な部品を見ていたのに近いが、ただ部品というコトバは、限りなく生体的なものに近い質を感じさせるマーク・ロスコの絵画にはふさわしくないと考えられる。まして機械本体を構成する部分のような見なし方は、統合される絵画空間の全体性には似つかわしくないというのが穏当な判断だろう。
 だがしかし部品と乱暴に言ってしまうことによって露わになるものがやはりある。それは、絵画の厳かな存在仕方も、物理的な経年変化や突発的な事故による傷から免れていないばかりか、そのことによって視覚的な外観が鑑賞に堪えられなくなれば、具体的な修復措置を施さなければならない。作品は観念的なあり方を決して許されてはいないことを教えているのだ。
 二度目は2003年春、やはり美術館の学芸員として、改修成ったヒューストン美術館で開催された「日本写真史」展に貸し出した出品作に付き添い、その展示に立ち会うために派遣された折りに見た。オフの一日、ロスコ・チャペルに歩いて出かけた。細かな雨の降る夕暮れで、自然光のみによる採光が充分ではないために、微妙な色彩のニュアンスを識別することは著しく困難であるばかりか、そもそも絵画と壁の躯体との区別すらおぼつかない。教会内部は一様な薄暗さに満たされていた。要するに絵画はほとんど見えなかった。この、「ほとんど見えない」という状況に関心の芽のようなもの、理解の手がかりをわずかに感得したものの、晴れた日に再訪したいといういささか急いた感情が上回った覚えがある。
 翌日、快晴に恵まれて、再びロスコ・チャペルに赴いた。三度目の訪問である。東西と北の三カ所の壁面にトリプティックが置かれ、北西、北東、南東、南(入口)、南西の壁に単一の絵画が置かれる。天井から採光した自然光が、平等に教会内部を満たしながらも平板な印象を与えず、柔らかな暗さというべき質を辺りにもたらしている。やや暗くはあるが、8作品14パネルからなる個々の絵画は、色彩自身の資格において可視的である。いいかえれば作品と色彩の間に間隙がほとんどない、そのように感じられた。このことは、カントが『判断力批判』の中で語っている次の一節に対する、ロスコによる静かな反駁のように思えた。

《絵画、彫刻−それどころか一切の造形芸術においては、従ってまた建築や造園においても、これらのものが芸術である限り、線描的輪郭が本質的なものである。線描的輪郭においては、感覚によって満足を与えるものではなくて形式によって我々に快いものが、趣味判断に対する一切の素質の基礎を成しているのである。輪郭を彩飾する色彩は、感覚的刺戟に属する。色彩は、なるほど対象自体を我々の感覚に対して生きいきしたものにする、しかしこれを観照に値するもの、美しいものにすることはできない。むしろ色彩は、美しい形式が必要とするしころのものを、多くの場合著しく減殺する、また感覚的刺戟が許容されている場合ですら、美しい形式をまって初めて醇化されるのである。》(篠田英雄訳)

 ロスコ・チャペル・ペインティングの「黒に近い紫」、とわたしは乏しい語彙のもとにまたしても綴る。そこには「感覚的刺戟」を入口としながら、途方もない拡張する全体があると思える。実際には不可能にも、その色彩についての措辞に無限のコノテーションや振動が含み込まれているとわたしは言いたいのだった。その「語」は私的な経験の記述に関わってはいても、「私有」から免れているという感じをわたしはもつ。ウィトゲンシュタインは『哲学探究』の中で、色彩語の私的な使用の局面について次のように説明している。

《空を青さを眺め、自分自身に向って「何て青い空なんだろう!」と言ってみよ。−あなたがそれを思わず知らず−哲学的な意図などなく−やっているとき、この色彩印象が自分だけのものであるなどということは、あなたの念頭に浮かんでこない。・・・わたくしの言いたいのは、ひとが<私的言語>について思いをめぐらしているとき、<感覚を名ざす>ということにつきものの、自分自身の内部を指示しているという感じを、あなたはもっていない、ということである》

《わたくしが自分独自のものである(と言いたいのだが)色彩印象のことを考えているときには、その色彩の中へ−おおよそのところ、一つの色を[いくら見ても]〈見飽きない〉かのように−自分自身を沈潜させているのである。このような体験をつくり出すのがいっそう容易になるのは、ひとが何か明るい色を見ていたり、われわれに[深い]印象をのこすような色彩構成を見ているような場合である。》(藤本隆志訳)

おそらくわたしはかつてそれを見たときの間投詞的な感慨と、色彩それ自体への「沈潜」の記憶を込めて、「黒に近い紫」といいたいに違いない。だが色彩語にその役割を負わせるのは困難であり、それを見てすでに知っている読者に類推を促すのにとどまるだろう。しかしそれでもなお、かかる無限の中にいて、その無時間性の中に包摂されている時、わたしたちは色彩の名前を考えているわけでは全くない。色の無限の中にいて色を忘れているのである。この、色を忘れていることがすなわち、絵画を忘れることである。すでに見たように、絵画の中にいることがただちに教会の中にいることだからである。この空間にいてわたしは、絵画=空間を忘れる。線描と色彩の分割が無効化する地点にわたしたちがいざなわれるならば、色彩のもつ「感覚的刺戟」はここでは「入口」ほどの意味しかもたない。
 その経験はまた、忘我のエクスタシーとは全く異なる「落ち着き」の中での出来事なのだ。この落ち着きは、入眠時やまどろみの静けさの類推を許すかもしれないが、あくまで絵画を見るわたしは覚醒しているのだから、それを落ち着きと呼んでみたのだ。広本伸幸の考えによれば、ロスコの絵画は、強烈な光を見つめた後に視野を閉ざして獲得される、まぶたの裏に出現する色彩を模倣することにより、制作された可能性があるという。身体的に感得される残像が微光の色を湛えた絵画を生み出す、こうした色彩の内発的・自己生成的、さらには自己言及的な存在仕方は、ある厳しい、荒涼とした境位を示している。つまり、まぶたの裏のドーム状のスクリーン、もう一つの「天空」に浮かび上がるヴィジョンは、盲目的なものである。少なくともロスコ・チャペル・ペインティングは盲目的な契機を、残像の技術的適用のほか、黒に近い彩色、建築上の採光といった複数のプロセスに組み込むことによって成立している。
 注意を喚起しておきたいのは、この盲目的な契機を絵画制作という「明視への展開」のための技術的条件にのみ転送してはならないということだ。極論すれば、目を閉じて、まぶたの裏の天空に結像する色彩が何色でも構わない。色彩がなくてもいい。そう考えたのはわたしの二度目の教会訪問で見た、あるいはほとんど見えなかった絵画を前にしたときに感じたある「理解の萌芽」と関係がある。自殺した画家が完成した状態を見る機会のなかったロスコ・チャペル・ペインティングは、雨天の夕暮れという、構造上、教会内部が薄暗闇に浸されるときもまた、絵画の時間であることを結果的に示したのだ。それが死せる画家にとっての慰撫や救済となるか否かはほとんど問題ではないが、少なくともわたしたちにとってはその手がかりとなる。それが盲目の契機をもつ以上、絵画的存在の特性を最もよく表しているのは、不可視のときなのかもしれない。そうであるならば、こうしていま書き連ねているあいだ、眼前には存在しないが不可視の記憶の中に立ち現れているロスコ・チャペル・ペインティングは、記述される絵画として「見られて」いる。絵画は時として可視性の境界を踏み越えていくのであり、その沈黙の様態が、もし依然として「美」的な何ものかであるならば、ほとんど不可視のそれをわたしは「美しい」と呼びたいのである。つまり省察において遡行的に見出される美というものがある。それをより確定的に記述するためには将来、雨の夕暮れに、四度目の訪問が果たされなくてならない。
(初出:『文学空間』Vol.5. No.5200812月、7-15)

主な引用・参考文献
・カント『判断力批判』(2巻、篠田英雄訳)岩波文庫、1964
・ウィトゲンシュタイン『ウィトゲンシュタイン全集8 哲学探究』(藤本隆志訳)大修館書店、1976
・川村記念美術館ほか編『マーク・ロスコ展図録』東京新聞、1995
・Sheldon Nodelam, The Rothko Chapel Paintings: Origins, Structure, Meaning(Houston: Menil Collection, 1997)