Tuesday, January 8, 2013

島では、道という道が

「島では、道という道が海へ通じている。曲がり角のところで突然海が現れたり、道の両側に立ち並ぶ家と家の間に水平線が垣間見えたりする。」

「沖縄では、村のことをもシマという。シマは、閉じた一つの世界であって、シマごとに言葉が違い生活のリズムが違っている。それぞれに独自の文化をもち、他人志向型の精神に支えられた運命共同体。「土着の思想」と呼ばれている精神文化の裸の姿がそこにはある。
 しかしながら、固有の文化が、モノとしてかたちをなさぬとき、写真家はお手上げだ。目に見えないモノは写らない。シマにあって、ぼくは、写真がまったく無力であることを思い知った。そして、改めて、写真とは何か、という誰しも疑問を持つけど結局わからずじまいの果てしない問いにめぐり合い、試行錯誤のすえ、自分の中の双頭の蛇を殺して、矛盾を止揚したつもりで、これからは好きなものしか撮らぬと言い切る。」(東松照明)