22日(日)、写真家・小島一郎の展覧会を見に日帰りで青森県立美術館を訪れた。見所の多い、投げかける問いの重い、実に素晴らしい展覧会だった。以下は備忘録。
小島の写真を名取洋之助が見出したことに興味をひかれた。モダニズムの風景描出にとって必要な経路は、「ローカル・カラー」を的確に把握することを通じてそれならざる非在の・普遍的な「風景」を形成することだ。小島の写真は名取のそうしたヴィジョンに該当しただろうが、その時名取の念頭にあったのは「日本型リアリズム」の広範な布置(土門拳から木村伊兵衛まで)に対抗する意識かもしれなかった。つまりローカル・カラーの適用をめぐる戦前期から続くヘゲモニー争いに、小島は巻き込まれた。名取の提出する明快な図式、主観主義写真=図画写真/リアリズム写真=綴方写真も、この係争にかかわっている。
これも関連することだろうが、小島の下北は木村伊兵衛の批判にさらされた。おくればせの反論を用意しなければならない。
遺棄された開拓地ヌラ平の写真と、小島の北海道のわずかな写真を並べて考えてみること。豊島重之の構成したコーナー、明治初年の北海道開拓写真と小島の北海道写真のプロジェクションを見ながら、「入植」というコンセプトの日本写真史へのさらなる拡大適応の可能性を想像した。
小島は、「トランプ」と仲間に呼ばれた名刺判サイズのプリントを貼付したアルバムを作っていた。「トランプ」は、名取(たち)が日本工房以来使っていて岩波写真文庫に引き継がれたはずの、アーカイヴ構築のためのプリント管理システムに倣っているように思えた。あのカタログ化は、名取的な編集の政治性と美学的特性を最もよく体現するもののように思える。トランプを並べてさまざまな「役」を作っていくこと=組写真作り。そこでは「役」が作りやすいようなアーカイヴが前提とされてしまう。だがそれが果たして小島の資質に合っていたかどうか。など。
展覧会は3月8日(日)まで。http://www.aomori-museum.jp/ja/exhibition/22/
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