1962年から91年まで、実に30年にわたってニューヨーク近代美術館(MOMA)の写真部門のキュレーターを務めたジョン・シャーカウスキーが7月7日、マサチューセッツ州ピッツフィールドで亡くなった。81歳だった。彼は、ダイアン・アーバス、リー・フリードランダー、ゲリー・ウィノグランドを世に出した1967年の「ニュー・ドキュメンツ」展、写真家の志向性を、あえて主観性と客観性の比重によって「鏡」と「窓」に分類しながら、明快に現代写真の動向を整理した1978年の「鏡と窓」展など、写真芸術の方向を決定づけたり、現代写真を考察する上での見取り図を描くような、数々の重要な展覧会を企画した。今日のようにアジェの評価を高めたのも、彼の数ある業績の一つだった。私にとって印象深いのは、1989年に写真発明150年を記念した企画展「今日までの写真」で、直接展覧会を見ることは出来なかったが、その周到で個性的なカタログは美術館の学芸員になりたての私に、写真史的なパースペクティヴを与えてくれた。従来の写真史的な記述に比して、アノニマスなイメージと印刷媒体としての写真の重要性を強調したその書物は、学芸員がいかに通念から離れて自分を信じて展覧会に新たな知見を盛り込むかを教えてくれたし、いまでもしばしば参照している。今日、彼の推進したスナップショットや新しいドキュメンタリーのもつモダニズム的な価値は実際危機に瀕しているし、彼自身の美学にも疑念が呈されている。だが、シャーカウスキーの文章じたいの魅力は、私(たち)を含めた異議申し立てを試みる側の文章を逆に問いただしてくるものだ。晩年は、写真家としての活動がよく伝えられたものだった。『ニューヨーク・タイムス』が長い追悼記事を掲げている。
http://www.nytimes.com/2007/07/09/arts/09szarkowski.html
Thursday, July 12, 2007
Monday, July 9, 2007
第4回ディジタルコンテンツ学研究会のお知らせ
第4回 ディジタルコンテンツ学研究会を、以下のように開催いたします。
日時 7月21日(土)午前10時から正午まで
場所 明治大学秋葉原サテライトキャンパス
講師 石川直樹さん(冒険家・写真家)
石川さんは1977年生まれ。現代日本の最先端の冒険家であり写真家です。2000年の北極点から南極点への人力踏破につづき、2001年には七大陸最高峰登頂を達成(当時、最年少)。一方で太平洋の伝統的航海術を学び、熱気球による太平洋横断に挑むなど、まちがいなく誰よりも広い視点から、この地球という星とヒトの居住パターンを見つめている視線の持ち主です。
この間、みずからの体験をインターネットを通じて、場合によってはリアルタイムで積極的に分ち合うという、旧来の冒険家とは完全に一線を画したスタイルを確立してきました。
今回の研究会では、最近の活動について自由にお話しいただきますが、新しいディジタル・テクノロジーと環境、そして旅、またご自身にとっての<写真>の意味などについても、人を不意打ちする斬新な視点からの発言がうかがえるものと思います。
石川さんのお仕事の詳細については、以下の公式ホームページをごらんください。
http://www.straightree.com/
ぜひお誘い合わせの上、ご参加いただけることを、切望しております。
【 入場無料、予約Tel:03-5209-7848 (30名までとさせていただきます) 】
なお、秋葉原サテライトキャンパスは秋葉原駅(電気街口)前のダイビル6階です。
日時 7月21日(土)午前10時から正午まで
場所 明治大学秋葉原サテライトキャンパス
講師 石川直樹さん(冒険家・写真家)
石川さんは1977年生まれ。現代日本の最先端の冒険家であり写真家です。2000年の北極点から南極点への人力踏破につづき、2001年には七大陸最高峰登頂を達成(当時、最年少)。一方で太平洋の伝統的航海術を学び、熱気球による太平洋横断に挑むなど、まちがいなく誰よりも広い視点から、この地球という星とヒトの居住パターンを見つめている視線の持ち主です。
この間、みずからの体験をインターネットを通じて、場合によってはリアルタイムで積極的に分ち合うという、旧来の冒険家とは完全に一線を画したスタイルを確立してきました。
今回の研究会では、最近の活動について自由にお話しいただきますが、新しいディジタル・テクノロジーと環境、そして旅、またご自身にとっての<写真>の意味などについても、人を不意打ちする斬新な視点からの発言がうかがえるものと思います。
石川さんのお仕事の詳細については、以下の公式ホームページをごらんください。
http://www.straightree.com/
ぜひお誘い合わせの上、ご参加いただけることを、切望しております。
【 入場無料、予約Tel:03-5209-7848 (30名までとさせていただきます) 】
なお、秋葉原サテライトキャンパスは秋葉原駅(電気街口)前のダイビル6階です。
Wednesday, July 4, 2007
予型と反復
雑誌『未来』7月号pp.30-40に、
「予型と反復 《書評》中平卓馬『見続ける涯に火が・・・」
と題した文章を書きました。
2003年に横浜美術館の学芸員として、私が個展を企画した、
写真家・中平卓馬さんの評論集についての書評です。機会があれば、ご一読下さい。
この中平卓馬の評論集はこれから写真について、あるいは現代社会のなかで
映像の果たす役割について、考える際の必読書に数えられていくことでしょう。
時系列に編集されていますが、どこから読んでもいい本かもしれません。
http://www.osiris.co.jp/index2.html
「予型と反復 《書評》中平卓馬『見続ける涯に火が・・・」
と題した文章を書きました。
2003年に横浜美術館の学芸員として、私が個展を企画した、
写真家・中平卓馬さんの評論集についての書評です。機会があれば、ご一読下さい。
この中平卓馬の評論集はこれから写真について、あるいは現代社会のなかで
映像の果たす役割について、考える際の必読書に数えられていくことでしょう。
時系列に編集されていますが、どこから読んでもいい本かもしれません。
http://www.osiris.co.jp/index2.html
日の重さ
7月3日(火)明治大学生田校舎メディア・ホールで、トヨダヒトシさんのスライド上映会が行われた。
ニューヨークでの日々の暮らしが、少ない字幕とともに写し出されるトヨダ作品「ゾウノシッポ」三部作は、
とてもエモーショナルだった。
私たちが通りすぎてしまい見落としてしまう、あえかな日常の細部を、
たちどまってあらためてすくい上げて形にしていくと、あのように、
余りにも感情にあふれた映像が積み重なっていくのか。あるいは写真というものが、
もともと人間の感情を受け止める容器として出来ているのか。
明滅が繰り返される日常の断片の映像、それはとても「重い」ものだった。
上映後、トヨダさんは自作について率直に話してくれた。
・(スライド上映という)「立ち止まれなさ」が大切。
・撮れなかったこと、写っていないことも、撮った写真と同じくらい大事。
・イメージが現れている時よりも消えていく時のことを見てほしい。
・写真の「嘘つきやすさ」に気づいてしばらく写真を止めた。
・日常の中で、ふと気づくと周りが変化している、周囲が「旅をしている」のだ。
トヨダさんはこの夏、各地でスライドショーを開催する。
もう一度見てみたいと思った。
7月13日(金)+14日(土) タカイシイ・ギャラリー
8月17日(金) 旧宮本小学校校庭
8月20日(月) 東京都現代美術館
8月31日(金)〜9月2日(日) photographers' gallery
詳しくはwww.takaishiigallery.com/news/
ニューヨークでの日々の暮らしが、少ない字幕とともに写し出されるトヨダ作品「ゾウノシッポ」三部作は、
とてもエモーショナルだった。
私たちが通りすぎてしまい見落としてしまう、あえかな日常の細部を、
たちどまってあらためてすくい上げて形にしていくと、あのように、
余りにも感情にあふれた映像が積み重なっていくのか。あるいは写真というものが、
もともと人間の感情を受け止める容器として出来ているのか。
明滅が繰り返される日常の断片の映像、それはとても「重い」ものだった。
上映後、トヨダさんは自作について率直に話してくれた。
・(スライド上映という)「立ち止まれなさ」が大切。
・撮れなかったこと、写っていないことも、撮った写真と同じくらい大事。
・イメージが現れている時よりも消えていく時のことを見てほしい。
・写真の「嘘つきやすさ」に気づいてしばらく写真を止めた。
・日常の中で、ふと気づくと周りが変化している、周囲が「旅をしている」のだ。
トヨダさんはこの夏、各地でスライドショーを開催する。
もう一度見てみたいと思った。
7月13日(金)+14日(土) タカイシイ・ギャラリー
8月17日(金) 旧宮本小学校校庭
8月20日(月) 東京都現代美術館
8月31日(金)〜9月2日(日) photographers' gallery
詳しくはwww.takaishiigallery.com/news/
Wednesday, June 27, 2007
トヨダヒトシ スライド写真上映会
ニューヨーク在住の写真家、トヨダヒトシさんのスライド写真上映会を
下記の日程で開催します。とてもめずらしい機会ですので、ぜひご参加下さい。
7月3日(火)10時30分〜12時
明治大学生田キャンパス中央校舎6階メディアホールにて
明治大学理工学部の私が受け持つゼミの総合文化ゼミナール「写真集をつくる」
の時間を利用した特別講義ですが、どなたでもご参加いただけます。
ただ、スライド上映会という性質上、時間厳守でお願いいたします。途中入場はできません。
生田キャンパスは小田急線生田駅下車徒歩10分。あるいは向ケ丘遊園前駅下車タクシーで10分。
写真を発表する形式として、トヨダさんはスライド写真の投影(プロジェクション)に限っています。
印画紙を額に入れた展示形式や、写真集のような書籍のかたちとは違った、光の点滅によってつかのま浮かび上がっては消えてゆく
スライド写真の「時間」もまた、写真を見るもう一つのユニークな機会となることでしょう。
下記の日程で開催します。とてもめずらしい機会ですので、ぜひご参加下さい。
7月3日(火)10時30分〜12時
明治大学生田キャンパス中央校舎6階メディアホールにて
明治大学理工学部の私が受け持つゼミの総合文化ゼミナール「写真集をつくる」
の時間を利用した特別講義ですが、どなたでもご参加いただけます。
ただ、スライド上映会という性質上、時間厳守でお願いいたします。途中入場はできません。
生田キャンパスは小田急線生田駅下車徒歩10分。あるいは向ケ丘遊園前駅下車タクシーで10分。
写真を発表する形式として、トヨダさんはスライド写真の投影(プロジェクション)に限っています。
印画紙を額に入れた展示形式や、写真集のような書籍のかたちとは違った、光の点滅によってつかのま浮かび上がっては消えてゆく
スライド写真の「時間」もまた、写真を見るもう一つのユニークな機会となることでしょう。
Monday, June 25, 2007
今年の慰霊の日に
6月23日(土)は慰霊の日。1945年、沖縄戦の終結したこの日に、沖縄在住の写真家・比嘉豊光さんの写真展「わったー 島クトゥバで語る戦世」を記念する対談に参加するため、沖縄・宜野湾にある佐喜真美術館を訪れた。私たちは、「写真にとって沖縄とは何か」という、余りにも巨大なテーマで話すことになった。冒頭で私は少し時間をもらって、1853-54年、ペリー提督率いるアメリカ艦隊に随行した写真家や素描家の記録したイメージをたどりながら、そこに認められるエキゾティシズムのまなざしと、1930-40年代の日本人写真家の来沖時における同質のイメージを比較・検討した。
対談の相手は、11月にできる沖縄県立美術館の学芸員翁長直樹さん。司会を写真家の北島敬三さんが担当。翁長さんは、私が横浜美術館の学芸員をしていたときに企画した「中平卓馬展」の沖縄巡回展を実現してくれた人で、沖縄の近現代美術史・写真史の第一人者だ。翁長さんは戦後に始まる沖縄人写真家の仕事を、わかりやすく解説してくれた。
第二部のセッションのテーマは「沖縄にとって写真とは何か」。パネルには写真家・批評家の仲里効さんの司会で、東京外国語大学の西谷修さん、沖縄大学の屋嘉比収さん、そして主役である比嘉豊光さんが登場。主に比嘉さんによる展示作品、つまり沖縄戦を「島クトゥバ」つまりウチナーグチ(沖縄のことば)で証言するおじいさんおばあさんたちのポートレートの意義について、議論が展開した。屋嘉比さんが、沖縄戦の写真のこれまでほとんどすべてが米軍側から提出される記録写真・映像であったことに触れ、「これは(沖縄からの)沖縄戦の写真である」と明確に定義されたのが心に残った。
このイヴェントはこれだけに終わらない。10月30日-11月4日には、那覇市民ギャラリーで、比嘉さんと、北島敬三さん・浜昇さんという東京在住の2人を加えた3人の写真家による、「写真0年沖縄」展が開催される。「写真0年沖縄」展は沖縄県立美術館の関連イヴェントとしても企画され、私は展示構成で参加する予定。詳しくは下記のホームページをご覧下さい。
http://zeronen.jugem.jp/
沖縄でモノを考えること、あるいはすでに沖縄に想いをめぐらせることは、日頃の私たちの暮らしている場所を相対化する得難い機会を提供してくれる。しかしそれをコトバにしていくことは余りに難しい。しかしアクチュアルな実践にかかわりながら、考えたり逡巡したりする時間が、私にとってはとても貴重なものになっている。
対談の相手は、11月にできる沖縄県立美術館の学芸員翁長直樹さん。司会を写真家の北島敬三さんが担当。翁長さんは、私が横浜美術館の学芸員をしていたときに企画した「中平卓馬展」の沖縄巡回展を実現してくれた人で、沖縄の近現代美術史・写真史の第一人者だ。翁長さんは戦後に始まる沖縄人写真家の仕事を、わかりやすく解説してくれた。
第二部のセッションのテーマは「沖縄にとって写真とは何か」。パネルには写真家・批評家の仲里効さんの司会で、東京外国語大学の西谷修さん、沖縄大学の屋嘉比収さん、そして主役である比嘉豊光さんが登場。主に比嘉さんによる展示作品、つまり沖縄戦を「島クトゥバ」つまりウチナーグチ(沖縄のことば)で証言するおじいさんおばあさんたちのポートレートの意義について、議論が展開した。屋嘉比さんが、沖縄戦の写真のこれまでほとんどすべてが米軍側から提出される記録写真・映像であったことに触れ、「これは(沖縄からの)沖縄戦の写真である」と明確に定義されたのが心に残った。
このイヴェントはこれだけに終わらない。10月30日-11月4日には、那覇市民ギャラリーで、比嘉さんと、北島敬三さん・浜昇さんという東京在住の2人を加えた3人の写真家による、「写真0年沖縄」展が開催される。「写真0年沖縄」展は沖縄県立美術館の関連イヴェントとしても企画され、私は展示構成で参加する予定。詳しくは下記のホームページをご覧下さい。
http://zeronen.jugem.jp/
沖縄でモノを考えること、あるいはすでに沖縄に想いをめぐらせることは、日頃の私たちの暮らしている場所を相対化する得難い機会を提供してくれる。しかしそれをコトバにしていくことは余りに難しい。しかしアクチュアルな実践にかかわりながら、考えたり逡巡したりする時間が、私にとってはとても貴重なものになっている。
Monday, June 18, 2007
反編集的フィルム
6月17日(日)、「水の映画」上映会が横浜美術館で開催された。その最終プログラムは、詩人・吉増剛造の映画作品。スクリーンに投影される「水」にちなんだ自身の制作した映像を見ながら、舞台上に座った吉増剛造本人が、当の映画の中の自分のセリフを時として批判し、あるいは映画の音声をかき乱す音楽を流す。この際どい同時進行の、破壊的なパフォーマンスは、一種の映画批判、上演批判の試みとも受け取ることができる。
吉増の映画はすべての作業を一人で行う。また時間の経過に対して、不可逆的であること、つまり編集をほとんどしない「一発撮り」である点も、特筆すべきことかもしれない。あるいはそれは時間の経過とともにひとりでに編集されていって、撮影とともに完成する「自己編集的映画」、オートポイエーシスとしての映画というものか。
上映後、吉増さんと40分ほどの公開トークに参加しました。事前に言うべきことを少し用意していきましたが、あまり役立ちませんでした。ライヴの自発性によって、複製の反復的なあり方を攪乱し問いただすことが、「映画」の上映の意義の一つと考えるのが詩人の仕事であるならば、固定的な理屈はあまり役に立たないことでした。
吉増の映画はすべての作業を一人で行う。また時間の経過に対して、不可逆的であること、つまり編集をほとんどしない「一発撮り」である点も、特筆すべきことかもしれない。あるいはそれは時間の経過とともにひとりでに編集されていって、撮影とともに完成する「自己編集的映画」、オートポイエーシスとしての映画というものか。
上映後、吉増さんと40分ほどの公開トークに参加しました。事前に言うべきことを少し用意していきましたが、あまり役立ちませんでした。ライヴの自発性によって、複製の反復的なあり方を攪乱し問いただすことが、「映画」の上映の意義の一つと考えるのが詩人の仕事であるならば、固定的な理屈はあまり役に立たないことでした。
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